1192年、源頼朝は後鳥羽天皇によって征夷大将軍に任ぜられ鎌倉幕府を開きました。
その後独裁政権を進めていた頼朝でしたが、1198年12月27日橋供養からの帰路落馬し、体調を崩し翌年1199年1月13日に死亡しました。
この死因については脳卒中説、あるいは受傷後の破傷風説等、いろいろ取り上げられていますが、
その中に頼朝が水を飲んで死亡したとされる説があります。
すなわち落馬は脳虚血発作によるもので一旦は回復したものの、療養中に水を誤嚥し、肺炎から敗血症をきたして死亡したというものです。
すなわち頼朝の死は今でいう誤嚥性肺炎が直接の死因でなかったかと考えられているわけです。
生涯を通じて幾度も命を狙われ、またその権力抗争のため多くの一族を粛清してきた頼朝は絶えまないストレスによりむし歯や歯周病を悪化させ、やがては全身を蝕まれていったのかもしれません。
もしこの時代に頼朝が適切な歯科治療や口腔ケアを受けることができていれば、倒れて寝たきりになっても少なくとも誤嚥性肺炎で死んでしまうことはなかったのではないでしょうか。